
乗り移って演技をすることってあるのでしょうか?
ピアフの魂を傍観しているような、彼女の行動や言動を見聞きしていた人々から見たピアフではなく、彼女の心の中にあった熱いものが表に吐き出されている感じというのか・・・それはもちろんマリオン・コティアールの演技力もあるけれど、そういうものを超えている感じがする映画。
この映画を創り上げた人達の、尊敬を込めて彼女を表現したいという思いや彼女に対する強い関心が、彼女自身と一体となって昇華したというか。
人の伝記としての類のフランス映画を観ると度々思うことは、その人の気配が感じられて、脚色していると感じるよりも、もしかするとより真実なのではと想像してしまうこと。
製作者の手腕と俳優の演技力と、ピアフ自身の想い、それら全てが重なってより広がって、だから私たちに何か伝わるものがある。そんな映画はやはり力強くて見応え充分です。
ピアフをより知りたくて観ても、ただ映画を見たくて観ても、どちらもたっぷりと堪能できる作品だと思う。